今日は私の40回目の誕生日です。人生の折り返し地点。折り返し地点はもう過ぎてる?もう少し先だといいですが・・。
私の行動力の源になっている文を紹介します。社労士試験合格発表前にこの文章を読み、強烈に潜在意識にしみいりました。
「何かをしなかった後悔」
後悔には2種類あります。
「何かをしてしまった後悔」と「何かをしなかった後悔」です。
普通「後悔」というと人々は前者を思い浮かべます。「あぁあのときあんなことさえ言わなければ・・・」とか「あのとき酒を呑みすぎていなければ・・・」とか。
つい口が滑って友人を無くす人は、心の中ではその人のことをもとから友人とは思っていなかったのです。酒を呑んで理性を失った人は「呑んだら理性を失う」ということが理性的に分かったうえで酔っているのです。「魔がさして」一線を踏み越えてしまう人というのは、踏み越えたいから踏み越えたのであって、誰も彼に強制したわけではありません。潜在的欲望を本人同意のもとに顕在化しただけのことです。
このような「何かをしてしまったこと」に対する悔悟の念を「後悔」というのは、どこかに違和感があるのです。
僕らの心を長い時間をかけて酸のように浸食して、苛み続ける種類の「後悔」とは「何かをしなかった後悔」ではないでしょうか。
かけがえのない時間、かけがえのない人、かけがえのない出会いをのがしたことの後悔、「起こらなかった出来事」についての後悔は、それが起こらなかったがゆえに僕たちの想像を際限なく挑発し続けます。
「後悔先に立たず」という金言がありますが、これは「何かをしでかしてしまった悔い」についての格言で、「何かをしなかったことについての悔い」についてのものではありません。
「何かをしでかしてしまった悔い」というのは、それをしてしまった直後に、「あっ、マズいな、これは」ということがヒシヒシと察知されるものです。
一方、「しなかったことについての悔い」は長い時間をかけて「悔い」として根を下ろしたものであり、その「悔い」そのものが人格の一部をなしているような種類の「悔い」であり、「してしまったことについての悔い」というのは、「できる限り早く忘れた方がいい」種類の悔いです。
どちらの「悔い」が毒性が強いか、考えてみればすぐ分かるはずです。
だから僕は「あとから考えて、やらなかったことを後悔しそうなこと」を躊躇なくやるように生きる、ということを生きる上での基本方針に採用しています。
2013.4.22